署名活動を興してから完成に至るまでの歴史

全ては一人一人の一筆から始まった

2004年5月下旬

たまたま行ったある講演会で青年から講演者への質問コーナーがあった。
僕はそこに誘われて行ったが誰も質問しなく重い空気が流れていた。
その空気に耐えられなく何でもいいから質問をすることにした。「地元の公園にバスケットコートを作ってもらいたいのですがどうすればよいのでしょうか?」ととりあえず質問をした。そして「署名活動」という答えをもらった。また色々と手順等を教えてくれるということになった。そして話が盛り上がり実際に行動することになった。

その時、約12〜13年前に中学バスケ部の友達と興した署名を思い出した。 その時もバスケコートを地元に作ってもらいたいと思い、行動を開始したのだが、署名を集めた後の行動がわからなく、周りの大人も頼りなく断念せざる得なかった。今回、大人になり政治や社会の動きがよりわかるようになっているため、「絶対に出来る」と言う大きな確信があった。むしろ、コートが近くにないことのほうがおかしいと思っていたからだ。

署名の用紙を作成し、でき映えを周りの人にチェックしてもらい、いよいよ署名活動を開始した。署名活動といっても、いつもバスケ仲間が集まるあすみが丘プラザ(公共の体育館)に行き、署名してもらい、またコピーを渡して葯2〜3週間後に回収したにすぎない。実際に一度だけ駅前で署名活動もした。全体的に見ると土気人たちの反応はかなりよかった。しかし全校集会で署名をしないように注意した中学校の校長もいた。民主的な署名活動に一筆書くか書かないかは生徒の自由。それを選ぶ選択を与えずに一方的に駄目というのは時代遅れの考え。しかし、結果的に2〜3週間で最初は400筆ぐらいもの署名が集まりすぐに市の緑地公園課に提出に行った。

一回目の提出に署名用紙と具体的なイメージを持たせるため海外の色々な国々のバスケットコートの写真を持って行った。その中で特に韓国の日本以上に発展した野外スポーツ環境に緑地課の方々は心を動かされたようだ。また、現在コートがある「ふれあいの広場公園」は周りに民家がなく音が出るバスケには最適な場所であると推奨した。そして公園課の方は「出来る方向で進んでいきます。」と言った。その時の感想を署名用紙をわざわざ郵送してくれた方への返信に書いてあるので引用する。

署名用紙をわざわざ送っていただいてありがとうございました。6月23日(水)に、千葉市の公園緑地部(公園課)へ、約420人の署名を届けに行きました。その部の代表者に我々の願いを説明したのですが、溜まり場になるや、騒音になるなどの悲観的な意見しか返してこず、「頭が固すぎるのでは」と思うような態度でした。しかし、韓国等他国のストリートバスケットボール環境をプリントした写真を見せ、ストリートバスケットボールの長所を説明したところ、少しやる気が出たようで、近じか候補地を視察しに行くといっていました。どうなるか楽しみです。自分は、「バスケットコートが在って当たり前」と思っているので、現時点では、この署名活動をしていることが不自然にも感じています。もし、これが実現しなければ、本気で活動を起こすつもりです。

一回目の署名提出(千葉市の公園緑地課応接室にて)2004年6月23日

一回目はガツンとストバスの印象を与えるのに成功したと思う。公園課の人もこういう具体的な要望があれば助かりますと言っていた。皆年配の人でストバスと言ってもイメージがわかなかったそうだ。そして二回目の300筆ぐらいの署名用紙の提出の時になんと、、、、なんとなんとOKが出たのであった。その時の状況は、「サダムフセインが捕まった」とアナウンスした米軍基地のようだった(じらされた)。結局署名活動を興して2〜3ヶ月ちょっとでOKが出た。2005年の3〜4月には出来ることになった。 とりあえずやった!! やっぱり特定の場所やコートの雰囲気など具体的なイメージを作らせたことが決め手だったと思う。

がしかし

ここからが長かった。

予算が出ないとのことまた他に何か政治的なものがあったのかは知れませんが予定日の2005年春には出来ないことになった。それを聞いた時自分はスペインの大学院に在学中だったので、行動を起こせず、署名活動を手伝ってくれた講演会の人たちと連絡を取り合って何とか彼らに押してもらった。その頃だいたいの土気人は、そんなことが起きてるとは知らなかったことだろう。いや、講演会の人たちが頼んでいるにも関わらず土気人のほとんどは無関心であった。半分ぐらいはどうせ出来ないだろうと思っていた人間、人任せで正直腹が立った。ここの踏ん張りは彼ら講演会の人たちがいたからこそ出来たといえる。

しかし中には熱い人もいた。土気の水曜バスケ仲間は皆出来ることを楽しみにしていて、すでにストリートでやるためのボールを購入した人もいたのだ。それをなしにするには非道すぎる。講演会の人々が「約束したからには作ってくれ」との押しをして、ようやく2006年までには作るとの答えを市から得たのであった。

 

ついに夢が現実に

 

それから約9ヶ月後、12月の初めに待ちに待った工事が始まったのであった。僕は父から始まったと聞き、吹っ飛んで見に行った。工事の看板には予定日12月20日と書いてあったが、それはありえないとわかっていた。

これを見たときは本当に嬉しかった。12月13日

砂利敷き開始 12月15日撮影
遠くから見ると結構周りの青い柵が好い感じに目立っていました。12月15日撮影

まだ砂利の状態 12月25日ぐらい
アスファルト完成 12月28日ぐらい

ちょくちょく写真を撮りに行っていたので工事のおじさんと仲良くなり、色々と話を聞いた。そのおじさんは幕張に住んでいて、息子もよく幕張の外コートでバスケをするそうだ。故にバスケに理解のあるおじさんであった。

アスファルトまではすごいスピードできた。しかし下を特殊な素材にするのでまだ少しかかるとおじさんが教えてくれた。それでも2005年中には出来ると言っていたので僕や水曜プラザメンバーは年越しバスケが出来るんじゃないかと楽しみにしていた。

がしかし、そんなに甘くはなかった・・

アスファルトとその特殊加工する業者は別なようで、特殊加工する業者がなかなか来なかった。だから水曜プラザメンバーの上野さんと別々に抗議の電話を業者にいれた。そして次の日あたりに公園に行ったら例のおじさんが来ていて、下専用の業者と待ち合わせをしていた。だが自分はその後すぐに違う場所に向かったので業者が本当に来たかどうかはわからない。

しかし数日たってからやっと塗り専用の業者が現れたのでちゃんと話がついたようだ。12月25日ぐらいから約一ヶ月半以上の放置状態。どうしようもない業者だ。

雪の日 工事の人たちも冬眠中? 1月22日

やっと色塗り開始 2月12日

一回目下塗り完成 2月14日

二度塗り開始 2月17日
コートの形が出来てきた!!絵の具で描いたコートみたいだ。芸術的!! 2月18日
そしてダラダラと長い工事が続きやっと3月3日ぐらいに下地が完成した。

ついに下が完成 3月3日ぐらい

後はゴールを取り付けるだけ

だが これで次の日には出来ると思っていたが、またここでじらされた。自分の誕生日が3月6日だからその日までには終わらしてほしいと思っていたが誕生日が過ぎてもできないので痺れを切らし再び上野さんと再び3月7日に別々に公園緑地課に催促の電話を入れた。

 

下記は電話した日のMIXIの日記

今日、公園緑地事務所に電話してみたところ、3月の終わりぐらいにはできると。
下のコートは完成していて、後はゴールを設置するだけなのに。
そこの人が言うには、業者と話していつ取り付けるかを決めるとか。
なぜ取り付けの日をわざわざ決めなければいけないのだ。
開会式をするわけでもないのに。
 完成したらバスケをしている人たちに取材したいとの話もでているのに。
イライラだね。

3月の終わり?あ・り・え・な・い・・・・

だが挟み撃ち電話が効いたようで 

ついに ついに ついに 3月10日雨の中、やっと やっと やっと  

 

十年を経て願いがかなう

雨の中の作業

やっとだ

風の中のすばる♪ 砂の中の銀河♪ みんな 何処へ行った♪ やっとできた。いや〜長かった・・・・・・

取材の人が来ていたのでゴール完成の喜びを皆で伝えました。

 

 

あきらめたらそこで終わりですよ by 安西先生

 

なぜToke流Ninja道bball道と言うのか、またそのロゴの歴史

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